今週のお題「初任給」
いやあ、もう社会人になったなあ。
どう?会社は。
まあ、ほとんど研修やったからまだそんなに社会の厳しさが顔を出してきてないわ。
そんなにっていうか、全く。
こっちもそんな感じ。
だからゴールデンウィーク明けが怖い。
それはマジで。
でも少ないながらも給料出たやん。
初任給でなんか親にやる?
ああ、それは親次第やな。
親次第?
おお。
それは向こう次第。
向こう次第。
おれの親が自分の親に、言うたらおじいちゃんおばあちゃんに初任給で何かしらをやってたらおれもやるし、やってなかったらおれもやらん。
ええ・・・
でも親はやってほしいもんやと思うけどな。
自分はやってないくせにやってもらえると思ってんのは、大分考え甘いわ。
そんな人生甘くない。
新入社員か思うわ。
厳しっ。
新入社員のくせに。
これは言わば教育やから。
自分は何もしないのに、人からやってもらうことばかりを期待してはいけませんよと。
そういう意味では、何もやらんにしてもその行為自体にメッセージはあるわけやから、何かしらをやっているということにはなるのかもしれん。
ややこしっ。
え、じゃあ例えば、父親は自分の親に初任給で何かしらをやっていました、一方で母親はやってませんでした。
この場合はどうするん?
この場合は父親だけに何かしらをやるのがセオリーとされがちですが、おれの場合は連帯責任でどちらにも何もしません。
知らんセオリー出て来たし、その知らんセオリーを裏切って来た。
え、そういうセオリーがあるということは、初任給で何かしらをするかどうか考察する界隈があるってこと?
そう、あるってこと。
ほんでおれはその界隈での革命派ってこと。
かっこいっ。
でも考え方自体はめっちゃ古いやん。
野球部みたいやん。
ほんで母親の初任給のころにまだ付き合ってなかったとしたら、父親には自分の力が及ばんとこで連帯責任発生してるから、部活よりシビアやん。
父親可哀そう。
あ、あんまりおれの親の出会いとか、そういう親の恋愛事に関するディテール想像するのやめて。
やっぱりなんか謎の抵抗感があるから。
でも仮に父親と母親が大学ぐらいで出会ってたとして、同い年やったとして、同じタイミングで初任給をもらって、
「なあ、初任給で何かしら親にする?」
「え~、わたしはやらんかな。めんどいし」
とかいう会話をしてたら、そこは父親やらせろよと。
めんどいとか言ってる母親をやるように促せよと。
そう思うから連帯責任も納得できるな。
おれの親のこと勝手に考察するのやめて。
界隈の人間でもないくせに。
夫婦ともに罰されるべきやわ。
罪とか罰とか、別にそういうことではないねん。
思ってたより潜在的に過激な思想持ってるやん。
革命派?
でもさあ、これ自分に子どもができたときはどうするん?
まだ先のことやから分からんかもしれんけど、自分の子どもが初任給を得たとき、自分のDNAを引き継いでいるわけやから同じような思考に至り、親が初任給で何もしてないから自分もしないってなるで?
おれはその悲しみの輪廻に巻き込まれる覚悟はできてる。
できたうえでの決断。
かっこいっ。
もしかしたら、おれの母親もこの悲しみの輪廻への巻き込まれを覚悟した上で、何もやってないのかもしれん。
そのまた母親の両親のどちらか、もしくはどちらもがそのまた上のっていうふうに、我らが野村家は悲しみの中に身を置く宿命を背負いし一族なのかもしれん。
悲しみが止まらないやん。
どうしてなの?
でもそんなおれの選択を知った両親は「ああ、やっとこの子も一人前の大人になったな。悲しみを受け入れて、悲しみとともに生きていく覚悟ができたんやな」って、そんなふうにおれの成長を感じてくれるのかもしれん。
それはまた、おれのおじいちゃんおばあちゃんもそうで、そんなふうに野村家の一族は生きてきたのかもしれん。
まだ自分の両親が何もしてないかも分からんねんけどな。
こっちの考察に引き込まれすぎやろ。
流石は考察界隈の人間。
切ないな・・・。
な?
なんか野村家切なくない?
勝手にして。